月別アーカイブ: 2013年4月

ドメーヌ ジャン・グリヴォ・・・

当主エチエンヌ・グリヴォ氏。

《ドメーヌ シモン・ビーズ》当主パトリック・ビーズ氏の妹さんと御結婚していて この世界的に有名な2つのドメーヌは、血縁によって繋がっています。

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聞くところによると、若かりし頃、《ドメーヌ ジョルジュ・ルーミエ》当主クリストフ・ルーミエ氏と共に《ドメーヌ シモン・ビーズ》当主パトリック・ビーズ氏のワインを試飲する為にドメーヌへ行ったところ、エチエンヌ氏はマリエルさんに一目惚れし、その場で結婚を心に決めたそうです。

昨年ドメーヌ訪問の際、その事を伺うと、ニコッと微笑んで

「(振り向いてもらうまで)2年かかったよ」

と仰ってました。o0400030012507254792
エチエンヌ氏、「これ」と思ったら、決断は早いです。

エチエンヌ氏が試飲の準備をなさっている間、お相手下さったのはその奥様、マリエルさんで、ドメーヌの所有畑の位置など地図を利用して教えて頂きました。o0400030012507254989ブルゴーニュは、ドメーヌ同士の婚姻が多いので どこかのドメーヌと どこかのドメーヌはどこかで繋がっていたりします。

例えば、
《ドメーヌ ジョルジュ・ルーミエ》と
《ドメーヌ デ・コント・ラフォン》

《ドメーヌ ペロ・ミノ》と
《ドメーヌ トプノ・メルム》

逆に、所有畑の借地契約のこじれから、ドメーヌ同士で裁判をしている案件も数多くありますので会話には充分に注意が必要です。

などなど・・・ワイン造りに直接関係ありませんが、ドメーヌ訪問の際、会話の糸口になる知識は持っていて損が無いです。

エチエンヌ氏は、ワイン造りに関しても決断の人で 1993年のブルゴーニュ全体が ミデュー(べト病)に襲われた時もビオデナミの枠にとらわれず必要最低限の薬品を散布して、無事例年通りの収穫量を確保したそうです。

氏曰く「目の前に苦しんでいる子供がいたら放っておけないよ」。

エチエンヌ氏らしいです。

また一方 最後までビオデナミにこだわった マダム ルロワの畑は、壊滅状態だったことは以前このブログで書いた通りです。

がしかし、その時もその後もビオデナミ農法を一度も曲げていない
《ドメーヌ ルロワ》の畑は、土壌から強くなり、葡萄樹はちょっとやそっとの病気には負けなくなりました。

《ドメーヌ ルロワ》のワインは、

他のドメーヌの同クリマワインの金額より

“ゼロ”が1つ多いから出来たのか、

やり通したから”ゼロ”が1つ多くても買い手が付くのか・・・

正解はわかりませんが、良し悪しは別にして エチエンヌ氏の決断もマダム ルロワの判断も苦汁の選択だった事に変わりはありません。

醸造コンサルタントの
“ギィ・アッカ氏”に傾倒した時も、決別した時も、決断は早かったです。

以前 「40歳を越えて迷わなくなった」 とワイン誌のインタヴューで応えていたのが印象的でした。

今でもエチエンヌ氏は奥様ととても仲が良く、近くに居るだけでこちらも楽しくなるのですが、ドメーヌでの試飲中、地下のカーヴに入れ替わり立ち替わりスタッフや御家族がいらっしゃって、終始 和やかに時間が過ぎて行き一時間半の約束時間は本当にあっという間・・・。

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        地下カーヴへの入り口

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とても親日なエチエンヌ氏・・・義理のお姉様が(年下の)日本人女性ですので、たまに冗談まじりに日本語が出たりします。

そういえば、パトリックさんが千砂さんのご両親に挨拶をする為に来日した時、「一人では心細い」 と言うパトリックさんの頼みを聞いて、エチエンヌさんは一緒に来日したそうです。

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エチエンヌ氏の人が良くて、親切で、優しく、おおらかで、包み込むような包容力は間違いなく そのワインに宿っています。


《ドメーヌ ジャン・グリヴォ》のワインを飲むたびに、訪問時の応対の温かさを思い出し、穏やかな心持にさせて頂いています。

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数々のタートヴィナージュワインを獲得しています。

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サインを頂いたクロ・ド・ヴージョ グラン・クリュ 2008年。

試飲ワインの中で別格だったのが リシュブール グラン・クリュ。樽からの2011年、ブティユからの2010年、共にドメーヌを代表する出来栄えです。

グリオット・シャンベルタン グラン・クリュ・・・

インポーターからオファーが有れば、迷わずオーダーするワインが幾つかあります。

その中でも10本指に入るのが

《グリオット・シャンベルタン グラン・クリュ》。

9人居る所有者のうち 誰のでも良いと思える位 見つけ次第購入しています。

《ドメーヌ フーリエ》

《ドメーヌ クロード・デュガ》

《ドメーヌ ポンソ》でしたら言うことありませんが・・・

その多くは8%から14%位の傾斜面に存在している他のコート・ド・ニュイのグランクリュ畑とはうってかわって、コンタクトレンズを逆さまに置いた様な形状の、窪んだ場所にある とても小さな畑です。

《シャルム・シャンベルタン》、

《シャペル・シャンベルタン》、

《シャンベルタン ・クロ・ド・ベーズ》

に囲まれたその畑は、ジュヴレイ・シャンベルタン村に於いて最小クリマ。o0405072012504552912
名前の由来は諸説。

《Criotte》クリオット(石の多い土地)、がブルゴーニュの地方の方言として残った、

とか

日射しが強いクリマなので、焼くという意味の
《Grill》グリルが転じて
《Grillotte》グリオット
になったとか・・・

そもそも野生のサクランボの意味ですから、それに関係した・・・例えば葡萄樹を植える前はこの畑にサクランボが生っていた・・・とか。

1994年、”ジャン・マリー・ポンソ氏”の造りによる《グリオット・シャンベルタン グラン・クリュ》をお裾分け頂き、畑名の由来を考えながら試飲しましたところ、サクランボのコンポートやコンフィチュールのニュアンスを感じましたので、あながち最後の説もありなのでしょうか。

最近1994年のワインを頂く機会が多いのですが、一流の造り手によるそれは、驚くほどに新鮮で複雑、香りの洪水。
熟成感を伴いながらもフルーティーで、口に運ぶたびに新しい景色を見せてくれました。o0640064012504550470
《シャンベルタン・クロ・ド・ベーズ》より早く熟成すると言われている《グリオット・シャンベルタン》ですが、19年目にして再び飲み頃のピークを迎えた印象です。

Mさんご馳走さまでした!

グリオット・シャンベルタン グラン・クリュ・・・

インポーターからオファーが有れば、迷わずオーダーするワインが幾つかあります。

その中でも10本指に入るのが

《グリオット・シャンベルタン グラン・クリュ》。

9人居る所有者のうち 誰のでも良いと思える位 見つけ次第購入しています。

《ドメーヌ フーリエ》

《ドメーヌ クロード・デュガ》

《ドメーヌ ポンソ》でしたら言うことありませんが・・・

その多くは8%から14%位の傾斜面に存在している他のコート・ド・ニュイのグランクリュ畑とはうってかわって、コンタクトレンズを逆さまに置いた様な形状の、窪んだ場所にある とても小さな畑です。

《シャルム・シャンベルタン》、

《シャペル・シャンベルタン》、

《シャンベルタン ・クロ・ド・ベーズ》

に囲まれたその畑は、ジュヴレイ・シャンベルタン村に於いて最小クリマ。o0405072012504552912名前の由来は諸説。

《Criotte》クリオット(石の多い土地)、がブルゴーニュの地方の方言として残った、

とか

日射しが強いクリマなので、焼くという意味の
《Grill》グリルが転じて
《Grillotte》グリオット
になったとか・・・

そもそも野生サクランボの意味ですから、それに関係した・・・例えば葡萄樹を植える前はこの畑にサクランボが生っていた・・・とか。

1994年、”ジャン・マリー・ポンソ氏”の造りによる《グリオット・シャンベルタン グラン・クリュ》をお裾分け頂き、畑名の由来を考えながら試飲しましたところ、サクランボのコンポートやコンフィチュールのニュアンスを感じましたので、あながち最後の説もありなのでしょうか。

最近1994年のワインを頂く機会が多いのですが、一流の造り手によるそれは、驚くほどに新鮮で複雑、香りの洪水。
熟成感を伴いながらもフルーティーで、口に運ぶたびに新しい景色を見せてくれました。o0640064012504550470《シャンベルタン・クロ・ド・ベーズ》より早く熟成すると言われている《グリオット・シャンベルタン》ですが、19年目にして再び飲み頃のピークを迎えた印象です。

Mさんご馳走さまでした!

レ・サン・ジョルジュ・・・ドメーヌ ティボー・リジェ・ベレール・・・

ニュイ・サン・ジョルジュ村の
《ドメーヌ ティボー・リジェ・ベレール》
当主「ティボー・リジェ・ベレール氏」
来日に伴い行われた試飲会にお邪魔して参りました。

「コント・ジェネラル・ルイ・リジェ・ベレール」の末裔で、
《ラ・ロマネ》をモノポールで所有するヴォーヌ・ロマネ村の
《ドメーヌ コント・リジェ・ベレール》の
「ルイ・ミッシェル・リジェ・ベレール氏」とは親戚筋にあたります。o0400030012502169958皆様ご存知の様に、今のところニュイ・サン・ジョルジュ村にはグラン・クリュが制定されていませんが
「ティボー・リジェ・ベレール氏」、
《ドメーヌ アンリ・グージュ》の
「グレゴリー・グージュ氏」など有志が13人集まり、一級 レ・サン・ジョルジュ昇格運動を行っていて、かなりの確率でグラン・クリュ認可、認証されるのではないかと言われている事は再三このブログで紹介せさて頂いてます。

トップキュヴェは

“リシュブール”

“クロ・ド・ヴージョ”なのですが、

やはり
“レ・サン・ジョルジュ”の品質の高さには目を見張るものがありますし
「リジェ・ベレール氏」ご本人もこのワインがドメーヌのフラッグシップであると仰ってました。o0405072012501900673

その一級”レ・サン・ジョルジュ”の垂直試飲となれば興味がない訳がありません。

ヴィンテージは
2005年、2007年、2008年、2009年の4ヴィンテージ。

ダブルデキャンタージュ、尚且つ2時間以上前の抜栓にも関わらず、まだまだ閉じぎみだった2005年。
リジェ・ベレール氏は、

「持っていることを忘れた時が”飲み頃”でしょう」

と仰ってました。

2007年と2008年は食事に合わせるワインとして最適で、抜栓後早い段階で開き始めました。
(試飲終了後に自分のテイスティングノートを見直すと、ブラインドの段階で2008年より2007年の印象が上回っていました)

2009年は、
グラスに注がれた直後から硬いながらもポテンシャルは発揮していたのですが、他のワインを試飲してから約10分後 再び口にすると、若いヴィンテージなのに気難しさが全く無くなっていて、一番余韻が長かったのには驚きました。

既に美味しく飲めるし、熟成にも耐えうる2009年のヴィンテージキャラクターに則ったワインです。

2009年を購入しておいて正解でした。

予定時間を30分過ぎるという熱いセミナーで、本では読んだことの無い情報を教えて頂けました。
例えば、ジュヴレイ・シャンベルタン村とヴォーヌ・ロマネ村には何故グランクリュ畑がこんなにも多いのか、とかニュイ・サン・ジョルジュ村にグラン・クリュ畑が無い理由とか・・・

既出の情報(「アンリ・グージュ」がINAOのメンバーだったから。であるとか、土壌が数値的に優れているからとか・・・等々)以外の・・・何しろワイン好きが聴いていて面白い情報です。

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ボトルにサインを頂きましたが、トップキュヴェの”リシュブール”にして頂こうか、フラッグシップの”レ・サン・ジョルジュ”に頂こうかギリギリまで迷った末に、ドメーヌ フラッグシップの”レ・サン・ジョルジュ” 2009年 に頂く事にしました。

ティボー・リジェ・ベレール氏、ジェロボームの皆様お疲れ様でした。o0405072012502633975

 

《 Aérien 》アエリアン (空気のように)軽い・・・

表題は、ワインのデギュスタシオン中、特にブルゴーニュの造り手が頻繁に使う言葉です。

ブルゴーニュワイン・・・

前々回のブログでご紹介した
マダム ルロワの言葉。

実は あの文言の前にもう一文あります。

「ミュジニーは繊細な・・・おそらく世界で一番繊細なワインでしょう」。

こちらは、ヴォーヌロマネ村の造り手、
ドメーヌ アンヌ・グロ当主
アンヌ・グロ女史。
アンヌさんは、試飲中

「あなたのワインはとても女性的ですね」
と言ったジャーナリストに

「エレガントと言って欲しいわ」
と返したそうです。o0405072012496086855ワインを構成する要素は複雑で多岐にわたりますが、ブルゴーニュのヴィニュロンがワイン造りの際、表現しようとしているのは、

《土地の個性を表す》

《空気感漂う軽やかさ》

一つ目は言わずと知れた
《テロワール》
(余韻とフィネスはここで決まります)

二つ目が《アエリアン》。
(エレガントの要因はここにあります)

マダム ルロワとアンヌ・グロさんが言葉の外で仰ったのは、実は ブルゴーニュワインの本来在るべき姿そのもの。

では、何故わざわざ言わなければならないのか?

ブルゴーニュは一時期、最大の輸出国であるアメリカのニーズにあわせて、抽出の濃いワインを造っていた期間があったのです。

つまり、ブルゴーニュワインのアイデンティティーを捨てざるを得なかった時期が・・・
とりわけ 繊細なシャンボール・ミュジニー村のワインに影響があった様に思います。

(この時期、海外に迎合せずにワインを造り続けられた造り手の多くが、今現在 割り当て等でしか購入出来ないワインを造っている、いわゆるスター・ドメーヌと呼ばれているのは、とても興味深いです)

ところが初めのうちは順調だったこの路線も、何年か後になると、本来のブルゴーニュ愛好家がこの抽出の濃い重いワインに興味を失いはじめたのです。

愛好家曰く

「飲んでいて疲れる・・・」

ジュヴレイ・シャンベルタン村の
ドメーヌ フーリエ
当主ジャン・マリー・フーリエ氏も


「レストランでワインと供に食事をしているとき、水が欲しくなったら そのワインは何らかの要素が強すぎるんだ」 と言ってます。

(複数試飲でガス入りの水を飲むのは口内をリセットする為の行為ですから、これにはあたりません)

事態の深刻さに気が付いた造り手の何人かが ようやく原点回帰を口にし出したのは90年代後半になってから。

本来のブルゴーニュワインに戻るまで10年以上掛かったドメーヌも、無くなってしまったドメーヌもありましたが、今では流行やワインジャーナリストの得点を気にせず、ご自分の造りたいワインを造れる とても良い環境にあるのではないでしょうか。

シャンボール・ミュジニー村。

《ミュジニー グラン・クリュ》

レミントン・ノーマン マスター・オブ・ワインをして

「最も偉大なブルゴーニュのひとつ・・・ではなく、地球上でもっとも偉大なワインのひとつ」

と言わしめました。

中心にしっかりとした酸の骨格があり、樹齢の高さから来る複雑さ、深遠なる芳香。

旨味と液体の絶妙なバランスと濃度で飲み手の集中力が試され、ピノ・ノワール精一杯のタンニンが緊張感を高める。

でも しかし 濃いわけでは無いから飽きが来ない。

空気を含んだ様な軽やかさと、繊細なシルクの喉越し、テロワールを表すエレガントな仕立て。

薄いのでは無いのです。

全てを十分備えた上でアエリアン。

ドメーヌ ジョルジュ・ルーミエ当主
クリストフ・ルーミエ氏は

「アムルーズとミュジニーは・・・
まるで風景をみるときのように、 目を凝らして見れば見るほど新しい発見があるのですが、こちらが探しに行かないと見つけそびれてしまうのです。」

でも心配は要りません。

小さく手招きをしてくれていますから・・o0405072012495478310《Le Musigny est un vin très fin・・・probablement le plus fin du monde.》

ドメーヌ フィリップ・パカレ・・・試飲会その後・・・

先日のパカレ氏との試飲会が、とても素晴しい内容でしたので、早速ワインをオーダーさせて頂きました。

入荷したワインは・・・

ACブルゴーニュ・ピノ・ノワール2011年。o0405072012493113267村名シャンボール・ミュジニー2010年。o0405072012493113279村名ムルソー2011年。

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コルトン・シャルルマーニュ グラン・クリュ2011年。

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お気づきでしょうか。

ドメーヌ フィリップ・パカレのエチケットには、ヴィンテージが入っていません。

o0405072012493113373実は裏面のエチケットに記入されているのです。o0405072012493113404飲み終わったワインの記念にお持ち帰りになります ”エチケット” このドメーヌのエチケットは、これを ”保存する台紙” に収まりませんので、パカレ氏のワインと ドメーヌ ポンソはブテイユごとお渡ししています。あしからず・・・

以上の4種です。

シャンボール・ミュジニー村・・・

ドメーヌ フィリップ・シャルロパンの次期当主 ヤン・シャルロパン氏は次に取得したい畑の筆頭に “ミュジニー グラン・クリュ”を挙げていました。o0400030012491669809この特級畑を手掛けたくないという造り手は居ないと思います。o0400030012491636602しかし、ブルゴーニュの”グラン・クリュ”畑は、まず誰かが売りに出してくれるか、既得している所有者が貸してくれないと、どうにもなりません。

手離す理由として良く聞くのが、高い 相続税を支払う為に畑の一部を売却する事。

この場合、まとめて売られる事が多いのですが、買い手はだいたい銀行、金融系や ワイン造りに関係の無いお金持ち。

次に人手に渡る時には、高額になり、 個人での取得は難しくなります。

その次に、フランスの法律では、兄弟、姉妹は均等に遺産を分配されるのですが、仮に相続税が払えたとしても 誰か一人でもワイン造りに興味がなければ、その人は売却してしまいますから、相続人の人数が増えれば増えるほど所有畑の面積は小さくなり、 買い手は、畑が細分化した状態で買うか、借りるしかなくなります。

余りにも小さい畑では、ワインは造れません。
また逆に、滅多に無い事例として、後継者が居ないため 引退を余儀なくされた時。

この場合は、一気に畑や醸造所、貯蔵所を手離しますから、これを期に新しくドメーヌを興す事も可能になります。

お金ではなく、素晴らしいワインを造ってくれる造り手に譲りたいと仰る方が多いので、健全に移行が進みますし、買う方は買えるだけオファー出来る。

《ジャッキー・トルショ》から
《ダヴィッド・デュバン》へのほとんどの畑。

(最初にパトロンが畑を買い、才能あるヴィニュロンにワイン造りを任せ、造り手に資金が溜まったら買い取ってもらう方法もあるようです)

《マレ・モンジュ》から
《ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ》への”ロマネ・サン・ヴィヴァン”。o0400030012491636727(DRC社 ”ロマネ・サン・ヴィヴァン”の、この部分は今現在 植え替え中の区画です)

数え上げたらキリが有りませんが、なんといっても ワイン愛好家から喜びを持って歓迎されたのが、
《シャルル・ノエラ》を買い取ったマダム ラルー・ビーズ・ルロワ。

1988年 《ドメーヌ ルロワ》はここからはじまりました。

更に驚くべき事に・・・。

その同じ年に《ドメーヌ ルロワ》が”シャンボール・ミュジニー村”の”グラン・クリュ”を購入したというのです。

まず考えたのが、「2つあるうちの どちらの畑?」と「誰が手離したのか?」です。

次の瞬間答えは出ていたのですが、
「まさか”ミュジニー グラン・クリュ”が売りに出る」などということが有り得るわけが無いと思っていましたので・・・一瞬我が耳を疑いました。

手離したのは、シャンボール・ミュジニー村の当時村長、
《ドメーヌ ダニエル・モワンヌ・ユドロ》
当主 ダニエル・モワンヌ・ユドロ氏。o04000300124916698101988年から2009年までに

“シャンボール村”の

アムルーズ プルミエ・クリュ、

ボンヌマール グラン・クリュ、

ミュジニー グラン・クリュ

を含む全ての畑を売却したのです。

その様な経緯でも優良区画のそれは、天文学的数字だったらしいので、ブルゴーニュでもとりわけワイン造りに定評のある名家の方達の手に渡りました。o0400030012491636600今 愛好家の興味の先は、
“アムルーズ”と隣接している
アンドレ・ポルシュレ氏の
“ミュジニーの畑”。
新規取得ですと小さすぎてどうにもならないのかもしれませんが・・・(画像右の石垣の下がヴージョの畑)o0400030012491636605(ポルシュレ氏はこの三角形の区画から、約40本の”ミュジニー グラン・クリュ”を造っています、元ドメーヌ ルロワ醸造長、元オスピス・ド・ボーヌ栽培、醸造長の実力通りのワインなら興味があります。

元々は、ルーミエ家の畑で、アラン・ルーミエから譲り受けたそうです。)

愛好家のみならずヴィニュロンの方々からも羨望の眼差しで見られているシャンボール・ミュジニー村、
南側の”特級畑”。

《 Musigny Grand cru 》

マダム ラルー・ビーズ・ルロワはこの畑を素晴らしい言葉で言い表しています・・・

On ressent une finesse,
une grande légèreté,
mais cela ne veut pas du tout dire
maigre,
c’est seulement léger,
Comme l’air du temps.

(繊細で軽妙。
でも 痩せて細いわけではありま
せん。
ただ軽いだけ。
流れる時のように・・・)

これぞ ミュジニー。

長野県産 紫アスパラガス 入荷しました・・・

なかなか手に入らない 珍しいアスパラガスが入荷しました。

生でシンプルに御提供しています。
甘味があって、シャキッとした食感は
《ル・メニル・スュール・オジェ》の酸味のある”ブラン・ド・ブラン”のシャンパーニュにピッタリです。o0405072012488572710調理するとグリーンアスパラガスに似た感じになりますが、このアスパラガスは、生でサラダの様にして食するのが一番です。
エピでは、
『自家製サーモンのマリネのグージョネット仕立てとアイオリソースに絡めてフレッシュな紫アスパラガスと召し上がって頂きます』。
o0405072012489659883御試し下さい。o0405072012488572733

ル・メニル・スュール・オジェ・・・

シャンパーニュ地方、造り手に最も好まれている

ピノ・ノワール産地が
《アイ村》。

“ブラン・ド・ノワール” を造る場合 それに、
《ヴェルズネ村》の酸と、骨格、

《ブージー村》の豊潤な果樹味をアッサンブラージュする事でシャンパーニュに奥行きと華やかさを備えさせる様です。

“ブラン・ド・ブラン” を造る時のシャルドネの選び方は、
辛口に仕上げる為の《シュイイ村》

躍動感の《クラマン村》

優雅さをもたらす《アヴィーズ村》

丸みのある蜂蜜の様な《オジェ村》。

そして、そのグラン・クリュの中でも別格の畑にしてシャルドネの聖地といわれている・・・

鋭角的な酸で全体を引き締める為の

《ル・メニル・スュール・オジェ村》。

(各メゾンは、それぞれの畑の特長を生かした絶妙なアッサンブラージュで人々を魅了しています)

シャンパーニュは、アッサンブラージュの芸術とも言われていますが、それは葡萄品種の選択だけでは無く、その葡萄のクリマ、配合比率は勿論、
更にいえば

“ヴァン・ド・レゼルヴ” (リザーヴ・ワイン)

のヴィンテージに至るまで多岐にわたり、話を聞くだけで気が遠くなります。

そもそも
《ル・メニル・スュール・オジェ》のシャルドネは硬い酸が特長ですから、混合品種の1つとして使用しているメゾンがほとんど・・・

そんな中、
《ル・メニル・スュール・オジェ》のしかも単一年に収穫された、シャルドネだけを使用して、まるでブルゴーニュワインの様に造られているシャンパーニュがあります。

アッサンブラージュの概念に真っ向から挑んでいるグラン・メゾンまたはそのキュヴェとは・・・

有名なところでは、

『サロン』。
(サロンはサロンしか造っていませんから、気にするべきはヴィンテージのみで、注文が楽ですね・・・)

『クリュッグ』の
《クロ・デュ・メニル》。

(とても高価で、正に雲の上のシャンパーニュでして なかなか扱う機会に恵まれません)

そして、サロンはその状況で良いものが造られた年だけのリリース。

サロンの名にそぐわないと判断された場合は姉妹会社の
『ドゥラモット・ペール・エ・フィス』に全てまわされ、

今のところのスパンとしては、3年に一度位しかリリースされていないので、なかなか手に入りません。

(上記3つのシャンパーニュはまたの機会に・・・)

“ブラン・ド・ブラン”は往々にして高価ですが、日本では「有名で無い」というだけで、お手頃価格で手に入る
《ル・メニル・スュール・オジェ》の”ブラン・ド・ブラン” シャンパーニュも (探せば) あります。

有りました。

《ル・メニル・スュール・オジェ》のシャルドネだけを使ったお手頃なブラン・ド・ブラン。o0405072012487727233『ロベール・モンキュイ』の

「ブラン・ド・ブラン ブリュット ル・メニル・スュール・オジェ グラン・クリュ」

価格から考えたら有り得ない程の素晴らしいアルコール度数、まろやかな泡、酸味。

価格が高くない理由は2つ。単一ヴィンテージでは無い事と、ただ日本に於いて有名では無いから・・・ぜんぜん構いません。

歴史あるレコルタン・マニピュランのノン・ヴィンテージ シャンパーニュ。

今現在
エピのハウス・シャンパーニュとして扱わせて頂いています。

グラス(フルート)でもブティユでもご注文承ります。

お試し下さい・・・

ヴォーヌ・ロマネ村のグラン・クリュ・・・

数々のロマネ・コンティを抜栓した事がある熟練のシニア・ソムリエ氏が、「今まで抜栓したロマネ・コンティの中で一番状態が良い」と言っていた保存状態抜群の1994年物のロマネ・コンティ。

優良年で無く、早い時期の抜栓でもワインのコンディションによっては 他のDRCの赤ワイン5本を「実力通り」に凌駕することがあるとの事。

逆に優良年でも「抜栓タイミング」や「保存状態」、「飲む側の気持ち」や「経験値次第」で大きくコメントが左右されてしまうのもロマネ・コンティ。

”エシェゾー”、”グランゼシェゾー”、位でしたらまだその他のヴォーヌ・ロマネ村のワインの延長線上にあるイメージですが、
”リシュブール”、
”ロマネ・サン・ヴィヴァン”から上のキュヴェになるとDRC社 独特の味と香りが如実に強く感じられ、

ビオデナミ特有の出で立ちに驚く人も居る程です。

ある程度の「慣れ」が必要なワインかも知れませんし、これが1万円~2万円のワインでしたら、誰も話題にはしないのですが、ひとたび市場に出れば100万円前後のワインですからネガティヴな意見も致し方無い事です。o0640048012486889459色々な本、雑誌、インターネットなどのインプレッションを読むと、大体に於いて同一ヴィンテージなら

“ラ・ターシュ”が”ロマネ・コンティ”の印象を上回る事が多い様ですが、理由は・・・わからないです。

マダム ルロワは 10年位前のインタヴューで「20年かかってようやく”ロマネ・コンティ”が最も偉大な葡萄畑であるわけがわかりました。そうなる前は、”ラ・ターシュ”に惚れ込んでましてね」と仰ってます。

強いて言うなら、”ラ・ターシュ”は畑面積が広いので瓶詰め本数も多くなり、安定した品質、味わいの平均を採ることが出来、意外と直ぐ飲んでしまえる柔軟性を持ち合わせているからでしょうか・・・私の経験した

”ラ・ターシュ”は 「いつの 何を飲んでも」外しが無かったです。

でもやはり、”ラ・ターシュ”云々より、”ロマネ・コンティ”の抜栓タイミングの難しさなのかも知れません。
全ての状況が整った時の”ロマネ・コンティ”はこの世の物とは思えない程素晴らしいワインの様ですから・・・

億万長者ドリス・デュークのコレクション物で、オークションにかけられた今や幻の1934年”ロマネ・コンティ”を2004年に試飲したクリスティーズ ニューヨーク、百戦錬磨のワイン部門担当リチャード氏は口に含んだ途端腰が抜け、その場に座り込んだそうですし、マイケル・ブロードベント マスター・オブ・ワインは、1962年の”ラ・ターシュ”に5つ星満点中 異例の6つ星を付けました。

比べる物では無いのですね。o0480064012486889489エピでもこんなに素晴らしいラインナップでワイン会を行いたいものですが、私としては 一生のうち何度飲めるかわからない様な貴重なワインは、それ”ひとつ”だけで経験したいです。
オールスターキャストの映画は、誰を見て良いやら、わからなくなりますので・・・