月別アーカイブ: 2013年4月

コート・ドールのグラン・ヴァンを飲む会・・・

日時・・・・・2013年5月14日
火曜日
午後19:00より

ル プティ レストラン エピ にて
ワイン会を行います。

会費・・・17000円。(御一人様)

ラインナップは、

シャンパーニュ・・・

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《ポル・ロジェ》
ブラン・ド・ブラン
ヴィンテージ 2000。

白ワイン・・・

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《ドメーヌ シモン・ビーズ》
コルトン・シャルルマーニュ
グラン・クリュ 2005年。

赤ワイン・・・1本目。

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一本目はブラインド

赤ワイン・・・2本目。

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《アンドレ・ジルトゥーネル》
シャンボール・ミュジニー
プルミエ・クリュ
レザムルーズ 2009年。
日本未発売

赤ワイン・・・3本目。

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《ドメーヌ ジャック・プリウール》
ミュジニー グラン・クリュ 2008年。

以上の5本で、簡単なオードブルが出ます。(食事は付きません)
8名から10名様までの会です。

当日のキャンセルなどにより、ラインナップは変更の場合がありますので、予め御了承ください。
なるべく、ブラインド・ワインの枠で調節したいと思います。

定員になり次第締め切らせて頂きます。

御興味ありましたら

03(3780)8687までお電話下さい。
担当 鈴木です。

ヴォーヌ・ロマネ プルミエ・クリュ クロ・パラントゥ・・・

前々回のブログ中、
《ドメーヌ アンリ・ジャイエ》のワイン画像を掲載しました所、色々とお問い合わせがありましたので、引っ越す前の私のブログから抜粋した文章で試飲の印象記を加筆修正し、起こしてみたいと思います。

という訳で、
もう飲んでしまいまして在庫は御座いません。
あしからず・・・

・・・・・・以下抜粋・・・・・


《ドメーヌ アンリ・ジャイエ》 ヴォーヌ・ロマネ 1erクリュ
“クロ・パラントゥ”         


ブルゴーニュワイン好きで知らない人は居ないこのワイン。        


世界的に有名な生産者達が
《アンリ・ジャイエ氏》の隣で目を輝かせて写っている写真を見た事が有ります。
ブルゴーニュのヴィニュロン達にとってやはり特別な存在なんですネ。


トップ・キュヴェは、丘の斜面下方向に位置する
特級畑
〈リシュブール〉
とちょっと左のシャンボール方向に離れた畑
〈エシェゾー〉ですが、生産量の少なさからして 手に入れるべきは

1級
〈クロ・パラントゥ〉

4分の3が自己所有の畑と言うこともあり思い入れもひとしおの畑。
(残りの4分の1は元々の持ち主 メオ カミュゼ)


デキャンタージュは敢えて行わずポテンシャルを探ってみます。


華やかな香りが鼻孔をくすぐります、色は赤褐色というより もうレンガ色。
スワリングはせずに
先ずひとくち・・・
アルコールを強く感じます。1~2度のスワリング後香りを嗅ぐともう変化しています、敢えて言うなら花から赤果実。


そして更にひとくち、サラッとした印象を受けたのも最初だけ、此処からはヴォーヌ ロマネ村のワインらしく舌に絡みつく様に液体が口内に広がります。鼻から抜ける香りに若干甘味というかカカオ(チョコレート)と茸類(主にトリュフ)の香りを読み取る事が出来ます。


グラスに鼻を近付ける度に香りが変化します、口にした時と飲み込む時でさえ変わって行きます そして飲み込んだ後も鼻に抜ける香りが姿を変えながら長く続くんです。  
   

スバラシイ


たまたま4人全員違う空気との触れ合わせ方をしていました、空になったグラスを香ると4つのグラス全て違う香りが・・・
因みに1番スワリングしたのが私のグラス。


最も良い香りになっていたと思います。

という事は?

まだまだ保存に耐えられると言う事でしょうか・・・
《ドメーヌ アンリ・ジャイエ》

1986年 ヴォーヌ・ロマネ

1erクリュ

“クロ・パラントゥ”。

ブルゴーニュワイン好きで知らない人は絶対に居ないこのワイン。

もしかしたら1番良い時に味わえたのかもしれません。

・・・・・抜粋おわり・・・・

3年近くも前の試飲になりますが、昨日の事の様に覚えています。それほど圧倒的な体験でした。

今後数が増えることはありませんし、減っていく一方のワインですから今のうちに入手しておく事をお勧めします。

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昨年渡仏の際、ブルゴーニュの
某レストランのワインリストに
「1988年」が載っていました。

「3000ユーロ」

日本では絶対売っていない金額。

もし在庫が有ったとして、
恐らく
パリやボーヌのワインショップ
よりも低価格です。

「3000ユーロ」

ワイン一本の値段としては
勿論常識的ではありません。

しかし
昨今の価格の上昇を考えると、

この清水の舞台・・・

それほど
高くないのかもしれません。

もしまだオンリストされていれば
の話ですが。

フランソワ・フレール・・・

ドメーヌを訪問して、然るべき挨拶のあと、カーヴに向かう階段を降りると暗闇の中、独特な湿度と冷気、蔵独特の懐かしくも心地好い 匂いに包まれます。

当主の方が、やおら明かりを灯すと目の前にはワイン愛好家を魅了する憧れの光景が・・・

もしその瞬間 心の中で「お~っ」と言葉がもれたのなら、
間違いなくそのワイン樽は

《フランソワ・フレール社》製です。

同社の中でも色々な外観仕様があるのですが、どれも素人目に見て凄く綺麗で、なぜだか とにかく目を惹きます。

フランスの樽メーカーは、
《カデュス》
《ルソー》
《キャヴァン》
《ソーリー》
《タランソー》
《セガン・モロー》
《エルミタージュ》
《ベルトミュー》・・・・・・・と数え上げたらきりがありませんが、殆どのドメーヌが
《フランソワ・フレール社》と、もう3社か4社の組み合わせで揃えている印象です。

《ドメーヌ デュ クロ・デ・ランブレイ》は全てが《フランソワ・フレール》製だったように思います。o0400030012514515388
ティエリー・ブルーアン氏と・・・

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特に 新樽率の高いドメーヌならば、新品のオーク樽が訪問者を圧倒するはずです。

《ドメーヌ アンヌ・グロ》

このカーヴは モダンな内装、間接照明の効果と相まってさながら美術館。
このフロアは見える限りに於て全て《フランソワ・フレール》製の新樽でした。

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アシスタントのエロディさんと・・・

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《フランソワ・フレール社》はDRC社が使用している事でも有名ですね。

《ドメーヌ ジャン・グリヴォ》も《フランソワ・フレール社》の樽を使用していて、昨年訪問した時に使用している他の樽、
《キャヴァン》
《ベルトミュー》のお話もたっぷり伺えました。

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”R”はリシュブールの意。

《ドメーヌ ジャック・プリウール》

このドメーヌのセラーも
《フランソワ・フレール製》を含む数種類の樽で埋め尽くされていました。

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「フランソワ・フレールは、細かなオーダーに対応してくれるので使っています」と
醸造責任者の〈ナディーヌ・ギュブランさん〉が仰ってました。o0400030112516925216
そして、やはり綺麗です。

樽の一部にそのドメーヌの樽内部のトースト加減等情報が 焼き印、若しくは彫ってあり
《フランソワ・フレール社》の正確な仕事へのこだわりが垣間見えました。

造り手の拘り、我儘を訊いてくれる数少ない業者の1つが
《フランソワ・フレール社》の
〈ジャン・フランソワ氏〉のようで、ブルゴーニュでは絶大な信頼を得ています。

樽内の焼き加減を
ハイ・トースト、ミィディアム・トースト、ミディアム・プラス等、呼び方は色々とあるようですが、
〈ティボー・リジェ・ベレール氏〉がオーダーしているのは他の誰も発注していないオリジナルの焼き加減、

クリュ(生)だそうです。

(この場合のCruは形容詞のクリュ〔生の~〕で、ワイン産地を表す男性名詞のクリュとは違います)

殆ど焼きを入れないと仰ってました。

ヴィンテージ・キャラクターに見合う樽メーカー、焼き加減を選んでいるそうですので、こんな所からも、生産者は個性を表現しようとしているのですね。

ブルゴーニュのドメーヌを10数件訪問させて頂いていますが、一流所で《フランソワ・フレール社》の樽が無かった所は一軒もありませんでした。

また、好みの問題ですが、新樽率が高ければ良いということでは無く、今 ブルゴーニュの一流ドメーヌのトップキュヴェなどは、樽香が強くならない様に敢えて新樽率30%位に抑えて、葡萄のフレッシュさを残す方向に持っていっている所も多いです。

ボトルに詰めてから 樽メーカーの異差を感じる事は難しいと思いますが、以前 ブルゴーニュのとあるドメーヌにお邪魔したときに トースト加減の異なる同じキュヴェのワインを試飲させて頂き、その違いに驚きましたので、こちらの方は瓶詰め後も大いなる違いを保っているに違いありません。

「オークの樽と焼き加減」

自分好みのワイン(ドメーヌ)を見つける為の1つの方法論としては、
いささかマニアック過ぎるでしょうか・・・

ともあれ
《フランソワ・フレール社》
知っておくべき名前の1つです。

ドメーヌ アンリ・ジャイエ・・・

故〈アンリ・ジャイエ氏〉は ピノ・ノワールの色に拘った方でした。

拘ったというより 色もワインの楽しみの1つであると・・・

でもそれは、正しく造られたワインが自然に醸し出す色でなければならなくて、色を出す為の醸造であっては本末転倒だということです。

そういった意味で、先日お会いした〈フィリィップ・パカレ氏〉も

私の
「ワインにとって色は重要ですか?」
の質問に

「(色は味や香りほど) 重要ではない」
と仰ったのだと思います。

正しく醸造されたワインなら、自然と色は美しさを備える・・・という事でしょう。

色に関しては、
ニュイ・サン・ジョルシュ村に住んでいたレバノン人の醸造技師で
〈アンリ・ジャイエ氏〉と同じ時期に活躍していた〈ギィ・アッカ氏〉の失敗で、
「何でもやりすぎは良くない」と証明されました。

彼は、〈アンリ・ジャイエ氏〉の醸造方法が素晴らしい技法、だということをいち早く見抜き、更に極端な方法で ボルドーワイン並みに色を濃くしようと試み、結果 全く熟成のしない、およそブルゴーニュワインとは思えない様なワインをコンサルタント先で造っていたのです。

(瓶詰め後直ぐは、目新しく斬新なそのワインも歓迎されていましたが、時間経過と共に色々と不具合が見られる様になり、今ではブルゴーニュでその名を聞くことはありません)

ちなみに、一度行方不明になったあと今現在もブルゴーニュワインに何らかの形で関係はしているそうですが・・・

Guy Accad

(フランス語読みですと ギィ・アッカですが、固有名詞なのでレバノン読みか、英語読みでギィ・アッカドと読むかも知れません。日本では両方の訳が通ってますが、レバノンは1943年に独立するまでフランス領でしたから、フランス語読みで良いのかも・・・

いやいや
《ドメーヌ ジャン・グリヴォ》の
〈エチエンヌ・グリヴォ氏〉はアッカドと言っていたような・・・)

《ドメーヌ ジャン・グリヴォ》は、
〈ギィ・アッカ氏〉に1987年から1992までコンサルティングを依頼していました。
(〈エチエンヌ・グリヴォ氏〉がブルゴーニュでの〈ギィ・アッカ氏〉最後の顧客です)

その頃のワインを今飲むとどうか・・・悪くないです・・・悪くない。

でもそれを云うなら
1984年の 〈ギィ・アッカ氏〉と知り合う前の
《ドメーヌ ジャン・グリヴォ》
〈リシュブール グラン・クリュ 1984年〉はとても綺麗な熟成で美味しかったです。o0405072012512286673さて〈アンリ・ジャイエ氏〉。
葡萄の育て方、ワインの醸造に関しては皆様良くご存知の通り拘りを持っていらっしゃったわけですが、
エルヴァージュの為の 樽への拘りも尋常ではありませんでした。

世界で一番「年輪の目」が詰まっているといわれる中央フランスにあるトロンセの森のオーク材を自分立ち会いのもと選び、2年間自然乾燥させ、しかも一本の同じ木から取れた板材だけで228リットルのピエス(ブルゴーニュの樽の呼び方)を造らせる。

この拘りを理解してくれて、尚且つ協力してくれる業者はなかなか居なかったそうです。
(森まで同行させてくれる業者すら居なかったそうですから・・・)

請け負ったのはサン・ロマン村の老舗樽製作会社、
《フランソワ・フレール社》

選び抜かれた材により出来た
アンリ・ジャイエ氏の為のピエスは、
正に芸術品。
DRC社並みに拘ってます。

今はどのドメーヌも数社の樽を目的に合わせて使い分けるのが主流ですが、当時〈アンリ・ジャイエ氏〉は《フランソワ・フレール社》の樽だけを使用していた様です。

《フランソワ・フレール社》を訪れた顧客がショールーム代わりに見学をしに訪れたのが〈アンリ・ジャイエ氏〉のドメーヌだったそうで、中にはドメーヌのワインを試飲させてもらった幸運な方もいたはずです。o0405072012512338207余談ですが、当時でピエス1つの値段は日本円にして60000円位。
今で80000円から特注品で100000円以上はするそうです。

先日お会いした
《ドメーヌ ティボー・リジェ・ベレール》の
〈ティボー・リジェ・ベレール氏〉も同じように樽に拘っていて、「3社ある樽業者のうち一社とは、やはり森まで同行させて貰っていて、木から選んでいる」と仰ってました。

いい樽が手に入ったら、あとは造り手が新樽の香りに負けない力強い葡萄を育てるだけです。

樽自体の香りは3年もすれば無くなるので、まず新樽(最初広域に使い、後にトップキュヴェに使用のドメーヌも多いです)を上級キュヴェに使用し、2回目以降は、広域ワインに使ったりして、最後は、廉価でブランデー業者等が買い取っていたりします。

有名ドメーヌの使用済みピエスは、それこそ引く手あまたで、大手ネゴシアンが買っていったり、ドメーヌを興したばかりの友人に譲ったりしている様です。

《ドメーヌ エマニュエル・ルジェ》
〈エシェゾー〉のピエスが
《ルー・デューモン》の仲田さんのところに行っているのは有名な話ですね。

こんな事を知らなくてもワインは美味しく飲めますが、知っていて損は無いですし、全てはドメーヌを訪問する幸運に恵まれた時、造り手の仰っている事が少しでも理解出来るようにとの予備知識です。

《ドメーヌ アンリ・ジャイエ》

ブルゴーニュでワイン造りに携わっている人なら少なからず 何らかの影響を受けていであろうその人物に直接会ってお話を伺う事は もう物理的に不可能ですが、
お造りになったワインなら まだ少し・・・ほんの少しだけ市場に残っている様です。o0192014412512540433心配は要りません、あの味覚体験を獲られる事を考えたら、それほど高価な買い物では無いですから・・・

ドメーヌ アンリ・ジャイエ・・・

故〈アンリ・ジャイエ氏〉は ピノ・ノワールの色に拘った方でした。

拘ったというより 色もワインの楽しみの1つであると・・・

でもそれは、正しく造られたワインが自然に醸し出す色でなければならなくて、色を出す為の醸造であっては本末転倒だということです。

そういった意味で、先日お会いした〈フィリィップ・パカレ氏〉も

私の
「ワインにとって色は重要ですか?」
の質問に

「(色は味や香りほど) 重要ではない」
と仰ったのだと思います。

正しく醸造されたワインなら、自然と色は美しさを備える・・・という事でしょう。

色に関しては、
ニュイ・サン・ジョルシュ村に住んでいたレバノン人の醸造技師で
〈アンリ・ジャイエ氏〉と同じ時期に活躍していた〈ギィ・アッカ氏〉の失敗で、
「何でもやりすぎは良くない」と証明されました。

彼は、〈アンリ・ジャイエ氏〉の醸造方法が素晴らしい技法、だということをいち早く見抜き、更に極端な方法で ボルドーワイン並みに色を濃くしようと試み、結果 全く熟成のしない、およそブルゴーニュワインとは思えない様なワインをコンサルタント先で造っていたのです。

(瓶詰め後直ぐは、目新しく斬新なそのワインも歓迎されていましたが、時間経過と共に色々と不具合が見られる様になり、今ではブルゴーニュでその名を聞くことはありません)

ちなみに、一度行方不明になったあと今現在もブルゴーニュワインに何らかの形で関係はしているそうですが・・・

Guy Accad

(フランス語読みですと ギィ・アッカですが、固有名詞なのでレバノン読みか、英語読みでギィ・アッカドと読むかも知れません。日本では両方の訳が通ってますが、レバノンは1943年に独立するまでフランス領でしたから、フランス語読みで良いのかも・・・

いやいや
《ドメーヌ ジャン・グリヴォ》の
〈エチエンヌ・グリヴォ氏〉はアッカドと言っていたような・・・)

《ドメーヌ ジャン・グリヴォ》は、
〈ギィ・アッカ氏〉に1987年から1992までコンサルティングを依頼していました。
(〈エチエンヌ・グリヴォ氏〉がブルゴーニュでの〈ギィ・アッカ氏〉最後の顧客です)

その頃のワインを今飲むとどうか・・・悪くないです・・・悪くない。

でもそれを云うなら
1984年の 〈ギィ・アッカ氏〉と知り合う前の
《ドメーヌ ジャン・グリヴォ》
〈リシュブール グラン・クリュ 1984年〉はとても綺麗な熟成で美味しかったです。o0405072012512286673
さて〈アンリ・ジャイエ氏〉。
葡萄の育て方、ワインの醸造に関しては皆様良くご存知の通り拘りを持っていらっしゃったわけですが、
エルヴァージュの為の 樽への拘りも尋常ではありませんでした。

世界で一番「年輪の目」が詰まっているといわれる中央フランスにあるトロンセの森のオーク材を自分立ち会いのもと選び、2年間自然乾燥させ、しかも一本の同じ木から取れた板材だけで228リットルのピエス(ブルゴーニュの樽の呼び方)を造らせる。

この拘りを理解してくれて、尚且つ協力してくれる業者はなかなか居なかったそうです。
(森まで同行させてくれる業者すら居なかったそうですから・・・)

請け負ったのはサン・ロマン村の老舗樽製作会社、
《フランソワ・フレール社》

選び抜かれた材により出来た
アンリ・ジャイエ氏の為のピエスは、
正に芸術品。
DRC社並みに拘ってます。

今はどのドメーヌも数社の樽を目的に合わせて使い分けるのが主流ですが、当時〈アンリ・ジャイエ氏〉は《フランソワ・フレール社》の樽だけを使用していた様です。

《フランソワ・フレール社》を訪れた顧客がショールーム代わりに見学をしに訪れたのが〈アンリ・ジャイエ氏〉のドメーヌだったそうで、中にはドメーヌのワインを試飲させてもらった幸運な方もいたはずです。o0405072012512338207余談ですが、当時でピエス1つの値段は日本円にして60000円位。
今で80000円から特注品で100000円以上はするそうです。

先日お会いした
《ドメーヌ ティボー・リジェ・ベレール》の
〈ティボー・リジェ・ベレール氏〉も同じように樽に拘っていて、「3社ある樽業者のうち一社とは、やはり森まで同行させて貰っていて、木から選んでいる」と仰ってました。

いい樽が手に入ったら、あとは造り手が新樽の香りに負けない力強い葡萄を育てるだけです。

樽自体の香りは3年もすれば無くなるので、まず新樽(最初広域に使い、後にトップキュヴェに使用のドメーヌも多いです)を上級キュヴェに使用し、2回目以降は、広域ワインに使ったりして、最後は、廉価でブランデー業者等が買い取っていたりします。

有名ドメーヌの使用済みピエスは、それこそ引く手あまたで、大手ネゴシアンが買っていったり、ドメーヌを興したばかりの友人に譲ったりしている様です。

《ドメーヌ エマニュエル・ルジェ》
〈エシェゾー〉のピエスが
《ルー・デューモン》の仲田さんのところに行っているのは有名な話ですね。

こんな事を知らなくてもワインは美味しく飲めますが、知っていて損は無いですし、全てはドメーヌを訪問する幸運に恵まれた時、造り手の仰っている事が少しでも理解出来るようにとの予備知識です。

《ドメーヌ アンリ・ジャイエ》

ブルゴーニュでワイン造りに携わっている人なら少なからず 何らかの影響を受けていであろうその人物に直接会ってお話を伺う事は もう物理的に不可能ですが、
お造りになったワインなら まだ少し・・・ほんの少しだけ市場に残っている様です。o0192014412512540433

心配は要りません、あの味覚体験を獲られる事を考えたら、それほど高価な買い物では無いですから・・・

ドメーヌ クロード・デュガ・・

オファーが、あれば必ずオーダーするワインがあると数回前のブログで書きました。

《グリオット・シャンベルタン グラン・クリュ》

正直申しますと、殆どオファーは来ません。

数が少なすぎるのです。

ジュヴレイ・シャンベルタン村の
特級畑中 最小の2.73ヘクタール。

このクリマを9人の所有者で分けあっていて、資料によると1ヘクタールを越える面積で葡萄を栽培しているヴィニュロンは誰一人として居ません。

所有しているだけなら、
《ドメーヌ デ・シェゾー》が約1.5ヘクタールで最大所有面積になりますが、以前申し上げた通り、その全てを《ドメーヌ ポンソ》と《ルネ・ルクレール》にメタイヤージュ契約で貸し出していますから、やはり1ヘクタール以下での栽培面積になります。o0435030612511082132そして、このクリマで世界的に人気なのが
〈ドメーヌ クロード・デュガ〉
《グリオット・シャンベルタン・グラン・クリュ》を0.25ヘクタール所有する超スター・ドメーヌ。

このドメーヌの《グリオット》は、先日のとあるオークションで2010年物が軽く10万円を越えていました。

従兄弟のベルナール・デュガ氏の2010年ワインも同じオークションでは、相変わらずの高値でした。

2010年は雹害のため、例年の60%しかワインが造れず、希少価値が上がった為で、価格は更に上昇傾向にあります。

当主 クロード・デュガ氏は、
《グリオット》の畑名の由来を

「諸説ある話の中で《Grill》グリル(焼く)、が転じて《Grillotte》になった。
この説に賛成です」

とインタヴューで仰ってました。

デュガの《グリオット》は同ドメーヌの《シャペル・シャンベルタン》よりは多く出荷されていますが、それでも400本から560本。

ドメーヌへの訪問は奇跡ともいえますが、幸運にもその機会に恵まれたらドメーヌでの試飲は・・・

《シャルム》

《グリオット》

《シャペル》

の順番で、ちょっと意外だと思う方も居るようですが
いかんせん《シャペル》は年間1樽弱。300本に満たないので 少なすぎ、安定した印象をもちにくいです。

しかも0.14ヘクタールから造られる《シャペル・シャンベルタン》の半分は、メタイヤージュ契約の為 別名での出荷になります。

《ドメーヌ クロード・デュガ》に限らず、
希少で高価なトップキュヴェだけではなく、そのドメーヌを識るのに
相応しいワインがあります。

広域ワインの

《AC ブルゴーニュ・ルージュ》

〈ドメーヌ クロード・デュガ〉が、1.5ヘクタール所有する《ブルゴーニュ・ルージュ》の畑から造り出されるACブルは、同ドメーヌの特級畑のワインと比べれば勿論 余韻の長さや、複雑みに若干欠けますが、並みの生産者の村名を軽く凌ぎますし、幾らか瓶詰め本数も多いので入手しやすいです。

往々にして広域ワインは、収量が多くなりますので造り手の個性が出しやすい様です。o0405072012511008276それでもデュガのワインが見つからないときは、
クロード氏の子供たち、ベルトランさん、レティシアさん二人が2002年に興したネゴシアン、

《ラ・ジブリオット》があります。

ここのワインは、マストを樽詰めする所からが仕事のメゾンですが、ワインの買い付けは、クロード氏を含む家族全員の試飲で決まるそうですので、クオリティは高い上に、前年の《ドメーヌ クロード・デュガ》で使用した樽を使い、
エルヴァージュもドメーヌと変わらない気温のカーヴで行われますので、レストランでオーダーに迷ったら選ぶべきワインの1つです。
《ドメーヌ クロード・デュガ》の流れを感じ取る事が出来るかも知れません。

ドメーヌ クロード・デュガ・・

オファーが、あれば必ずオーダーするワインがあると数回前のブログで書きました。

《グリオット・シャンベルタン グラン・クリュ》

正直申しますと、殆どオファーは来ません。

数が少なすぎるのです。

ジュヴレイ・シャンベルタン村の
特級畑中 最小の2.73ヘクタール。

このクリマを9人の所有者で分けあっていて、資料によると1ヘクタールを越える面積で葡萄を栽培しているヴィニュロンは誰一人として居ません。

所有しているだけなら、
《ドメーヌ デ・シェゾー》が約1.5ヘクタールで最大所有面積になりますが、以前申し上げた通り、その全てを《ドメーヌ ポンソ》と《ルネ・ルクレール》にメタイヤージュ契約で貸し出していますから、やはり1ヘクタール以下での栽培面積になります。

o0435030612511082132

そして、このクリマで世界的に人気なのが
〈ドメーヌ クロード・デュガ〉

《グリオット・シャンベルタン・グラン・クリュ》を0.25ヘクタール所有する超スター・ドメーヌ。

このドメーヌの《グリオット》は、先日のとあるオークションで2010年物が軽く10万円を越えていました。

従兄弟のベルナール・デュガ氏の2010年ワインも同じオークションでは、相変わらずの高値でした。

2010年は雹害のため、例年の60%しかワインが造れず、希少価値が上がった為で、価格は更に上昇傾向にあります。

当主 クロード・デュガ氏は、
《グリオット》の畑名の由来を

「諸説ある話の中で《Grill》グリル(焼く)、が転じて《Grillotte》になった。
この説に賛成です」

とインタヴューで仰ってました。

デュガの《グリオット》は同ドメーヌの《シャペル・シャンベルタン》よりは多く出荷されていますが、それでも400本から560本。

ドメーヌへの訪問は奇跡ともいえますが、幸運にもその機会に恵まれたらドメーヌでの試飲は・・・

《シャルム》

《グリオット》

《シャペル》

の順番で、ちょっと意外だと思う方も居るようですが
いかんせん《シャペル》は年間1樽弱。300本に満たないので 少なすぎ、安定した印象をもちにくいです。

しかも0.14ヘクタールから造られる《シャペル・シャンベルタン》の半分は、メタイヤージュ契約の為 別名での出荷になります。

《ドメーヌ クロード・デュガ》に限らず、
希少で高価なトップキュヴェだけではなく、そのドメーヌを識るのに
相応しいワインがあります。

広域ワインの

《AC ブルゴーニュ・ルージュ》

〈ドメーヌ クロード・デュガ〉が、1.5ヘクタール所有する《ブルゴーニュ・ルージュ》の畑から造り出されるACブルは、同ドメーヌの特級畑のワインと比べれば勿論 余韻の長さや、複雑みに若干欠けますが、並みの生産者の村名を軽く凌ぎますし、幾らか瓶詰め本数も多いので入手しやすいです。

往々にして広域ワインは、収量が多くなりますので造り手の個性が出しやすい様です。o0405072012511008276

それでもデュガのワインが見つからないときは、
クロード氏の子供たち、ベルトランさん、レティシアさん二人が2002年に興したネゴシアン、

《ラ・ジブリオット》があります。

ここのワインは、マストを樽詰めする所からが仕事のメゾンですが、ワインの買い付けは、クロード氏を含む家族全員の試飲で決まるそうですので、クオリティは高い上に、前年の《ドメーヌ クロード・デュガ》で使用した樽を使い、
エルヴァージュもドメーヌと変わらない気温のカーヴで行われますので、レストランでオーダーに迷ったら選ぶべきワインの1つです。
《ドメーヌ クロード・デュガ》の流れを感じ取る事が出来るかも知れません。

ドメーヌ ダニエル・モワンヌ・ユドロ・・・

《ドメーヌ ルロワ》が
〈ミュジニー グラン・クリュ〉を手に入れたお話。

その時ご紹介した、
《ドメーヌ ダニエル・モワンヌ・ユドロ》

今年に入ってバック・ヴィンテージのオファーが増えてきました。

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今回オーダーしたのは、2003年のシャンボール・ミュジニーの村名ですが、
〈ミュジニー グラン・クリュ〉

〈ボンヌ・マール グラン・クリュ〉

〈プルミエ・クリュ アムルーズ〉

等、マダム ルロワや
《ドメーヌ ドルーアン・ラローズ》に畑を売却する前の貴重なワインが続々入荷です。

(2003年というヴィンテージキャラクターを鑑みて試飲したところ、やはりこのドメーヌも一流の造り手でした・・・)

ストックワインをリリースするという事例は良く有る事で、

例えば・・・ 


モレ・サン・ドゥニ村の

《ドメーヌ ジャン・ラフェ》。


2001年に当主 ジャン・ラフェ氏 引退後、ドメーヌストックのジャン・ラフェ名義ワインを少しずつリリースしていますね。

今現在 ご子息のジェラール・ラフェ氏が後を継いで、というか
《ドメーヌ ジェラール・ラフェ》名義でワインを造っていまして、お父様のワインとは若干趣が異なるワインをリリースしているので、以前からの愛好家は、
ジャン・ラフェ氏が小出しに
リリースする

〈シャルム・シャンベルタン〉や

〈クロ・ド・ヴージョ〉、

〈シャンベルタン・クロ・ド・ベーズ〉

などを楽しみに待っています。

ちなみに私もジャン派ですので、ときどき出荷されるバックヴィンテージ(特に〈シャルム・シャンベルタン〉)を楽しみにしているくちです。

話しは戻りますが、《ドメーヌ ダニエル・モワンヌ・ユドロ》で私が一番気に入ったのが〈ボンヌ・マール グラン・クリュ〉でした。
〈ボンヌ・マール〉といえば・・・o0400026612508585536(ボンヌ・マールの畑。こちらは、モレ・サン・ドゥニ側)

先日、ティボー・リジェ・ベレール氏とのテイスティング・セミナー中、

氏に「モレ・サン・ドゥニ村には幾つグラン・クリュがあったか?」と最前列に陣取っていた私に質問がありましたので、

「5つ」と答えると、

「えっ?4つだよね?」と仰ったので、

「いやいや、〈ボンヌ・マール〉は
モレ・サン・ドゥニ側にも1.52ヘクタールあるから
〈クロ・ド・ラ・ロッシュ〉
〈クロ・デ・ランブレイ〉
〈クロ・サンジャック〉
〈クロ・ド・タール〉
とあわせて5つですね」と答えたら、

「あ~そうなんだ」と仰ってました。

生産者にはどうでも良い事の様です。

〈フォージュレイ・ド・ボークレール〉が〈ブリューノ・クレール〉からのフェルマージュでワインを造っていますが、その区画がまるっきりモレ・サン・ドゥニ側の《ボンヌ・マール》で、ブリューノ・クレールはモレ側の《ボンヌ・マール》の9割を所有していることになります。o0400026612508585397《ボンヌ・マール グラン・クリュ》の表土。

o0400030012508585393

ここから左方向がシャンボール・ミュジニー側のボンヌ・マール グラン・クリュ。

o0400030012508585396

以前は国道74号線でしたが、2006年から県道974号線になってます。

それにしても、《ドメーヌ ダニエル・モワンヌ・ユドロ》のエチケットは剥がしにくいです。

ボルドーワインでは、サンテステフの《コスデストゥーネル》が剥がしにくいのです。

ドメーヌ ダニエル・モワンヌ・ユドロ・・・

《ドメーヌ ルロワ》が
〈ミュジニー グラン・クリュ〉を手に入れたお話。

その時ご紹介した、
《ドメーヌ ダニエル・モワンヌ・ユドロ》

今年に入ってバック・ヴィンテージのオファーが増えてきました。

o0405072012508567188

今回オーダーしたのは、2003年のシャンボール・ミュジニーの村名ですが、
〈ミュジニー グラン・クリュ〉

〈ボンヌ・マール グラン・クリュ〉

〈プルミエ・クリュ アムルーズ〉

等、マダム ルロワや
《ドメーヌ ドルーアン・ラローズ》に畑を売却する前の貴重なワインが続々入荷です。

(2003年というヴィンテージキャラクターを鑑みて試飲したところ、やはりこのドメーヌも一流の造り手でした・・・)

ストックワインをリリースするという事例は良く有る事で、

例えば・・・ 


モレ・サン・ドゥニ村の
《ドメーヌ ジャン・ラフェ》。


2001年に当主 ジャン・ラフェ氏 引退後、ドメーヌストックのジャン・ラフェ名義ワインを少しずつリリースしていますね。

今現在 ご子息のジェラール・ラフェ氏が後を継いで、というか
《ドメーヌ ジェラール・ラフェ》名義でワインを造っていまして、お父様のワインとは若干趣が異なるワインをリリースしているので、以前からの愛好家は、
ジャン・ラフェ氏が小出しに
リリースする

〈シャルム・シャンベルタン〉や

〈クロ・ド・ヴージョ〉、

〈シャンベルタン・クロ・ド・ベーズ〉

などを楽しみに待っています。

ちなみに私もジャン派ですので、ときどき出荷されるバックヴィンテージ(特に〈シャルム・シャンベルタン〉)を楽しみにしているくちです。

話しは戻りますが、《ドメーヌ ダニエル・モワンヌ・ユドロ》で私が一番気に入ったのが〈ボンヌ・マール グラン・クリュ〉でした。

〈ボンヌ・マール〉といえば・・・

o0400026612508585536

(ボンヌ・マールの畑。こちらは、モレ・サン・ドゥニ側)

先日、ティボー・リジェ・ベレール氏とのテイスティング・セミナー中、

氏に「モレ・サン・ドゥニ村には幾つグラン・クリュがあったか?」と最前列に陣取っていた私に質問がありましたので、

「5つ」と答えると、

「えっ?4つだよね?」と仰ったので、

「いやいや、〈ボンヌ・マール〉は
モレ・サン・ドゥニ側にも1.52ヘクタールあるから
〈クロ・ド・ラ・ロッシュ〉
〈クロ・デ・ランブレイ〉
〈クロ・サンジャック〉
〈クロ・ド・タール〉
とあわせて5つですね」と答えたら、

「あ~そうなんだ」と仰ってました。

生産者にはどうでも良い事の様です。

〈フォージュレイ・ド・ボークレール〉が〈ブリューノ・クレール〉からのフェルマージュでワインを造っていますが、その区画がまるっきりモレ・サン・ドゥニ側の《ボンヌ・マール》で、ブリューノ・クレールはモレ側の《ボンヌ・マール》の9割を所有していることになります。

o0400026612508585397

《ボンヌ・マール グラン・クリュ》の表土。

o0400030012508585393


ここから左方向がシャンボール・ミュジニー側のボンヌ・マール グラン・クリュ。

o0400030012508585396

以前は国道74号線でしたが、2006年から県道974号線になってます。

それにしても、《ドメーヌ ダニエル・モワンヌ・ユドロ》のエチケットは剥がしにくいです。

ボルドーワインでは、サンテステフの《コスデストゥーネル》が剥がしにくいのです。

 

ドメーヌ ジャン・グリヴォ・・・

当主エチエンヌ・グリヴォ氏。

《ドメーヌ シモン・ビーズ》当主パトリック・ビーズ氏の妹さんと御結婚していて この世界的に有名な2つのドメーヌは、血縁によって繋がっています。o0720040512508056133聞くところによると、若かりし頃、《ドメーヌ ジョルジュ・ルーミエ》当主クリストフ・ルーミエ氏と共に《ドメーヌ シモン・ビーズ》当主パトリック・ビーズ氏のワインを試飲する為にドメーヌへ行ったところ、エチエンヌ氏はマリエルさんに一目惚れし、その場で結婚を心に決めたそうです。

昨年ドメーヌ訪問の際、その事を伺うと、ニコッと微笑んで

「(振り向いてもらうまで)2年かかったよ」

と仰ってました。o0400030012507254792エチエンヌ氏、「これ」と思ったら、決断は早いです。

エチエンヌ氏が試飲の準備をなさっている間、お相手下さったのはその奥様、マリエルさんで、ドメーヌの所有畑の位置など地図を利用して教えて頂きました。o0400030012507254989
ブルゴーニュは、ドメーヌ同士の婚姻が多いので どこかのドメーヌと どこかのドメーヌはどこかで繋がっていたりします。

例えば、
《ドメーヌ ジョルジュ・ルーミエ》と
《ドメーヌ デ・コント・ラフォン》

《ドメーヌ ペロ・ミノ》と
《ドメーヌ トプノ・メルム》

逆に、所有畑の借地契約のこじれから、ドメーヌ同士で裁判をしている案件も数多くありますので会話には充分に注意が必要です。

などなど・・・ワイン造りに直接関係ありませんが、ドメーヌ訪問の際、会話の糸口になる知識は持っていて損が無いです。

エチエンヌ氏は、ワイン造りに関しても決断の人で 1993年のブルゴーニュ全体が ミデュー(べト病)に襲われた時もビオデナミの枠にとらわれず必要最低限の薬品を散布して、無事例年通りの収穫量を確保したそうです。

氏曰く「目の前に苦しんでいる子供がいたら放っておけないよ」。

エチエンヌ氏らしいです。

また一方 最後までビオデナミにこだわった マダム ルロワの畑は、壊滅状態だったことは以前このブログで書いた通りです。

がしかし、その時もその後もビオデナミ農法を一度も曲げていない
《ドメーヌ ルロワ》の畑は、土壌から強くなり、葡萄樹はちょっとやそっとの病気には負けなくなりました。

《ドメーヌ ルロワ》のワインは、

他のドメーヌの同クリマワインの金額より

“ゼロ”が1つ多いから出来たのか、

やり通したから”ゼロ”が1つ多くても買い手が付くのか・・・

正解はわかりませんが、良し悪しは別にして エチエンヌ氏の決断もマダム ルロワの判断も苦汁の選択だった事に変わりはありません。

醸造コンサルタントの
“ギィ・アッカ氏”に傾倒した時も、決別した時も、決断は早かったです。

以前 「40歳を越えて迷わなくなった」 とワイン誌のインタヴューで応えていたのが印象的でした。

今でもエチエンヌ氏は奥様ととても仲が良く、近くに居るだけでこちらも楽しくなるのですが、ドメーヌでの試飲中、地下のカーヴに入れ替わり立ち替わりスタッフや御家族がいらっしゃって、終始 和やかに時間が過ぎて行き一時間半の約束時間は本当にあっという間・・・。o0400030012507254788

        地下カーヴへの入り口o0400030012507254791o0400030012507254790

とても親日なエチエンヌ氏・・・義理のお姉様が(年下の)日本人女性ですので、たまに冗談まじりに日本語が出たりします。

そういえば、パトリックさんが千砂さんのご両親に挨拶をする為に来日した時、「一人では心細い」 と言うパトリックさんの頼みを聞いて、エチエンヌさんは一緒に来日したそうです。o0400030012507254789エチエンヌ氏の人が良くて、親切で、優しく、おおらかで、包み込むような包容力は間違いなく そのワインに宿っています。


《ドメーヌ ジャン・グリヴォ》のワインを飲むたびに、訪問時の応対の温かさを思い出し、穏やかな心持にさせて頂いています。
o0400030012507254991数々のタートヴィナージュワインを獲得しています。o0405072012507402814サインを頂いたクロ・ド・ヴージョ グラン・クリュ 2008年。

試飲ワインの中で別格だったのが リシュブール グラン・クリュ。樽からの2011年、ブティユからの2010年、共にドメーヌを代表する出来栄えです。

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