ワインにまつわるお話・・・


太陽王 ルイ14世を語るとき、引き合いに出されるワインは
シャンパーニュとブルゴーニュワインです。

以前このブログでシャンパーニュの方はご紹介しましたので
今回はブルゴーニュ。


病気療養中のルイ14世に 主治医のファゴンが 「毎日スプーン一杯のロマネ・コンティを、のませた」話は、逸話として有名ですが、実は、厳密に言うと 間違いです。

何故なら1688年頃、
その畑は単に「ロマネ」と呼ばれていて、現在のように一般的にロマネ・コンティと呼ばれる様になったのは、1794年頃なので若干ニュアンスが違って聞こえます。
(コンティ公ルイ・フランソワ・ド・ブルボンがロマネの畑を購入したのは1760年ですが、ロマネ・コンティと呼ばれるのはそれから30年の月日がたったあとの事でした)

正しくは、「後にロマネ・コンティと呼ばれる事になる~云々」です。

(ちなみにその前の1512年頃は
クルー・デ・サンク・ジュルノーと呼ばれていて、16世紀半ばにはクロ・デ・クルーという名前だったそうです)

もうひとつ、ファゴンはルイ14世の座骨神経痛に侵されていたと思われた 足をブルゴーニュワインでじゃぶじゃぶ洗っていたようですが、その話はあまり知られていません。

実際 王は座骨神経痛ではなく壊疽にかかっていて、その誤診と誤った治療が原因でルイ14世は亡くなりました。

ジュヴレイ・シャンベルタン村の特級畑シャンベルタン グラン・クリュで知られた話は、ナポレオン・ボナパルト。

遠征の際、携えていた話は有名です。

伝わっている話は、「ナポレオンはシャンベルタンがお気に入りで~云々」ですが、
若干違うようです。
現在は、歴史認識がしっかりしてきて

ナポレオンは実はアルコールがあまり飲めなかった事、

携えたシャンベルタンを水で薄めて飲んでいたこと、

自分の右腕だったクロ・フランタン将軍の実家で造っていたワインがたまたま シャンベルタンだったことがわかっています。

今でも その名前は、アルベール・ビショー社のラインナップに残っています。
アルベール・ビショー ドメーヌ・デュ・クロ・フランタン シャンベルタン グラン・クリュ。

その畑のワインその物をナポレオンが飲んでいたかどうかは今となっては わかりませんが、思いを馳せて頂けば感慨深い事請け合いです。

ナポレオンの名誉のために申しますと、
当時の赤ワインは今のように澄んでなく もっと濃かったようですから、
仕事中なら薄めて飲んでも致し方ないと思います。

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写真は、
ジュヴレイ・シャンベルタン村の

シャンベルタン グラン・クリュ。

ドメーヌ ペロ・ミノ 2009年、

ドメーヌ アルマン・ルソー1990年と

ヴォーヌ・ロマネ村

ドメーヌ ド・ラ・ロマネ・コンティ
1級ワイン

キュヴェ・デュヴォー・ブロシェ 2009年。

上記ワイン、エピでご注文頂けます。