ロバート・パーカー・ジュニア氏は、
1987年の
《ドメーヌ ジャン・グリヴォ》
〈エシェゾー グラン・クリュ〉に対して
「見事な出来ではあるが、エシェゾーの味がしない。芳醇で強い味わいの見事なワインであるけれど、ピノ・ノワールとは本来こういったものだっただろうか?」と評論しました。
恐らくパーカー氏好みのワインだったに違いありません。
色合いも濃く、液体の濃度に比例したアルコール度数の高さ、何よりもエルミタージュかコルナスでも口にしているかの様なシラー種を思わせる余韻の力強さ、が備わっていたワインですから。
実はブルゴーニュ、
いや ピノ・ノワール種を敬愛しているパーカー氏は言葉の外で
「でもそれなら シラー種のワインを飲めば良い」と仰ったのではないかと・・・
ギイ・アッカ氏のコンサルティングによって出来たそのワインは、間違いなく美味しかったのだと思います。
ただブルゴーニュらしく無かった・・・
エシェゾーではなかった。
ロバート・パーカー・ジュニア氏の
《ザ・ワイン・アヴォケイド》
65号で書かれたこの記事内容が、
その後のブルゴーニュワインと 醸造技師ギイ・アッカ氏の去就を決めたといっても過言ではありません。
テロワールという言葉が、今のように言われ始めたのは、この頃からだった様に思います。
(ワイン誌に土壌やこの様な石炭岩の写真が掲載されるようになったのは、ここ何年かの事です)
今現在は、諸般の事情によりブルゴーニュと距離を置いているパーカー氏ですが、テロワールを表現している今のブルゴーニュワインを陰ながら喜んでいる一人に違いありません。